秋 篠 寺

本堂の中には麗しの伎芸天が待っておられる。頭部は天平時代の作で乾漆彩色造りであり、体部は火災にあった後鎌倉時代に寄せ木造りで造られており、像高二メートル余りの仏様である。密教の経典によれば、この伎芸天は大自在天の髪際より化生せられた天女で、衆生の吉祥と芸能を主催し諸技諸芸の祈願を納受し給うと説かれているそうである。古くは各地にて信仰されたと思われるが、現在残っている伎芸天は当寺の一体のみであるという。

天部の由来は次の通りである。天部は仏教以前からインドにあったバラモン教・ヒンズー教の神々を取り入れて守護神としたもので、本来天界に住むので天と呼ぶ。天部の諸像は様々で甲冑を着けた神王形の天部と、天衣を纏う天女形の天部とがある。神王形としては四天王・十二神将・金剛力士・梵天・帝釈天(女性的服装の下に甲を着ける)・大黒天などがあり、天女形には自然が神格化された吉祥天・弁財天・日天・月天・伎芸天・鬼子母神などがある。一般的に男性の天は甲冑を着けその下に上衣・股下衣・裳を着け沓を履いて足下に邪鬼を踏みつける姿が多い。また女性の天はひれ袖の付いた長い袂の上衣を着け下着と裳を纏って沓を履くという姿が多い。これ以外にも天竜八部衆の夜叉や迦楼羅(かるら)阿修羅などと共に、男女二天(夫天が象頭、婦天が猪頭のものもある)の抱擁する形姿の歓喜天(聖天)などの異類の姿を示している天部もある。これらの諸天は仏教の守護神という性格から、やがて人々に現世の後利益をもたらす神として信仰されるようになったという。

天平時代の仏像は一時代前の白鳳時代に伝えられた初唐系統の様式を、我が国人の感覚に形を整えて造られたものが多いと言われている。この伎芸天もその影響からかお顔がかなり日本的になり、白鳳期の仏像よりもより人間に近い容貌となっているように思われる。この時代の代表的な仏像としては、東大寺法華堂の不空羂索観音、日光・月光菩薩、興福寺阿修羅像、東大寺戒壇院の広目天、普賢寺・聖林寺の十一面観音などがあるが、いずれのお顔も白鳳時代の代表作である薬師寺の薬師三尊・聖観音菩薩や法隆寺の夢違観音などと比較すると、仏様然としたお顔立ちと言うよりももっと人間に近いお顔となっている。写真集で見るとお顔の造りそのものはお顔の豊満さといいその幅広のお鼻や肉厚の唇といい、三月堂の不空羂索観音とよく類似しているように思われる。しかしお顔の表情は不空羂索観音が謹厳な表情をしているのに比べ、伎芸天は表情が柔らかくあえて言えば艶めかしいとも思われる感じを受ける。そうしてそのお顔を同様に、伎芸天のお体も豊かで柔らかで艶めかしいと感ずる。横に廻って御仏のお体を見ると、極めて肉付きのよいことが判る。豊満な肢体を有することもまた、天女として信仰の対象となる伎芸天には必要なものだったのかもしれない。そうしてその慈愛の籠もった眼差しは、我々衆生の悩みを全て解き放ってしまうかのようにも思われる。そうして御仏の中から漂い出てくる天上の音楽の調べに、不浄な我ら人間存在を清めていただけるかのようにも思う。不遜な思いながらこの御仏には、憧れと恋慕の情をすら感じざるを得ない。そのことも含めて今の私にとって、この伎芸天は最も心惹かれる仏様となっている。川田順や立原正秋も、今私が感じているのと同じ印象をこの伎芸天に抱いたに違いない。

    伎芸天女 寒きしじまの 夕にすら

          匂いこぼれて 立たせ給へり    松山ちよ 

秋篠寺 本堂



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