薬 師 寺

 東塔から目を巡らせて、西塔と金堂を見る。金堂は高田光胤師による百万巻の写経で昭和五十一年に再建され、西塔は同じく二百万巻の写経により昭和五十六年に完成している。この薬師寺を最初に訪れたのは昭和四十二年の大学四年生の時であるが、その時は金堂は現在のものより一回り小さく、そして西塔趾には心礎の穴が基壇の上に残っているのみであった。その心礎の穴にたたえられた水に映る東塔の倒影を眺めたものであった。その次ぎに訪れたのは大阪外国事務課にいた昭和四六年頃で、このときは広島の友人達と訪れて薬師寺の三重塔の遠望もしている。そのあとが本店営業部の課内旅行の時であるから、昭和五十六年の秋であったかと思う。その時は既に金堂、西塔ともに完成しており、東塔に比して彩色の見事すぎることを感じた。綺麗さはあっても、何か有り難みが少ないように思ったのは、我々の古寺に対する先入観からなのか。それとも風雪に耐え、歴史の変遷の中で生き残った、先人の血と汗の染み込んだ伽藍にこそ、我々は有り難みを感ずるようになっているからなのか。かつて香港にいたときに新界にある仏教寺院を見たことがある。その寺院はやや毒々しいほどの彩色で彩られており、そして仏像そのものも光り輝く黄金色であった。その時感じたのは、これは日本の仏教と何かが違うと言うことであった。もちろん仏像のお顔自体も南方風ではあるが、崇高さの観られないものであった。インドも含めた南方の景観は、彩色豊かである。そうした景観の中では、彩色豊かな伽藍も自然であろう。しかし日本の風土には似合わないと思う。古びて木彫を露にした古寺こそが、この敷島の大和の国の景観には最も適合するように感ずる。

東塔と西塔を見比べてみると、西塔の基壇が数十センチ以上高くなっている。昭和五十六年に拝観したときにもそれを感じたが、西塔は何百年の年月を掛けて自らの重みで沈んでいき、やがては東塔の基壇と同じ高さになるのだという。さすれば幾世紀か隔てた後にはこの未だ真新しい感じのする西塔も、東塔と同じような風格を見せているのであろうか。

   逝く秋の 大和の国の 薬師寺の

           塔の上なる ひとひらの雲    佐々木信綱

 金堂は西塔よりは五年古く再建後二十一年の年月を経ているためか、西塔よりはやや景観に馴染んできている感じがする。屋根の造りは入母屋造(母屋「家屋の主幹部」を切妻造とし、その四方に庇をふきおろして一つの屋根としたもの。上部の切妻造と下部の寄棟造を重ねた形のもの)で、これは法隆寺の金堂と同じく、一般的な伽藍建築の形である。しかし法隆寺の金堂は二層のうち下層のみに裳階が付いているのに対し、この薬師寺の金堂は下層と上層との双方に裳階が付いている。さらに下層の裳階は屋外よりも薬師三尊像の全体を拝することが出来るように、正面の三面の扉の上部のみ、裳階が一段と高くなっている。一層の寄棟造で且つ屋根の大きな唐招提寺の金堂の大陸的なもしくは中国的な建築様式に比較すると、この薬師寺の洗練された建築様式がよく判る。金堂の中に入る。

金堂の中には本尊薬師如来と、脇侍の日光菩薩・月光菩薩の三尊がそのまろやかなブロンズのお体を、金色の光背に浮かび上がらせて待っておられる。三尊共にその漆黒のお体は、油で磨き上げたかのように光沢を放っている。この三尊の中では本尊薬師如来像の評価も高いが、私としては日光・月光菩薩の方が好きである。個人的な好みから言うと、どうも如来部の釈迦如来・阿弥陀如来・薬師如来・毘盧舎那如来・弥勒如来には余り感銘を受けない。様々な仏のうち最上部に位置するのが如来であるが、頭部の肉髻(にっけい)の膨らみと渦巻き状の螺髪(らほつ)の髪が、今一つ好きになれないと言うのが、大きな理由である。しかしこの薬師如来のお顔は、新薬師寺の目の大きくて唇の分厚い、どちらかというと野卑な感じさえ受ける薬師如来のお顔に比すれば、極めて高貴、上品でありそして円熟した慈悲のお顔をされている。そして日光・月光菩薩はその本尊・薬師如来の両脇に、しなやかで流麗なお姿で寄り添うておられる。右手の日光菩薩そして左手の月光菩薩ともに、その腰を軽く中央のご本尊の方へと撓らせている。二つの菩薩はその外側の手を、手首をほぼ直角に曲げて腕をまっすぐに伸ばし、そうして内側の手は肘を曲げて掌を正面に向けて印を結んでおられる。印は左右の手、共に来迎印(親指と人差し指を結ぶ)である。東塔は「凍れる音楽」と評されているが、この両菩薩を拝するときその立ち姿に高度な音楽性を感じないではいられない。この僅かな体の捻りと腕の表情が、両菩薩の肢体に動きを与えており、その動きは三尊全体で見ると見事な造形のハーモニーになっているように感じる。亀井勝一郎はこの三尊に関して、次のように表現している。

    「正面に結跏趺座する本尊を中心に、右に日光菩薩、左に月光菩薩

    が佇立しているが、この二躯はあくまで本尊と調和を保って、い

    わば三尊揃って一つの綜合的な曲線を描き、渾然たるメロデーを

    奏でているようにつくられてある」

 この薬師三尊のもう一つの見事さは、その光背の大きさと美しさにある。仏身全体を覆う光背を「挙身光」と言い、その中でも基本的なのは頭光と身光を重ねた「二重円身光」と呼ぶが、この薬師寺の光背も「二重円身光」である。渦巻き状の雲の地に仏が七体置かれてあり、これ自体は後世の作であろうが、黄金色の大きな光背と艶のある光沢を持った漆黒の三尊が見事なコントラストを見せている。くわえて、薬師如来の台座が、実に重厚且つ装飾的である。台座に懸かる布の垂れ模様も、意図的に左右不対象にしているところなど、きめ細かな技巧が伺われる。

三尊を拝した後、仏足石歌碑を見る。これは釈尊の足跡を線彫りにした仏足石で足の周りに光を放ち、釈尊三十二相の一つである足下平満等触相(扁平足)である。日本最古のもので、歌の調べは五七五七七七の三十八文字の歌が二十一首刻まれている。

薬師寺 東塔


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