京 都 御 所

 南庭は回廊に囲まれており、白砂を敷き詰めてある。白砂の持つ清浄さ、広がりは、神道からのものであろうか。それが後になって禅寺の庭に用いられたのも、面白い感じがする。南庭より北西の門を潜ると、清涼殿がある。ここは天皇の日常の住まいであり、御常御殿ができるまではここが生活の場であった。前には漢竹と呉竹が植えられている。この清涼殿には東廂、殿上の間(南廂)、母屋、夜の御殿などがあるが、奥の間は西廂であったようである。

次に小御所に回る。小御所は昭陽舎代とも呼ばれ、主に皇太子の元服式や立太子礼に用いられたが、幕府の使者や大名の拝謁などにも使用された。慶応三年(一八六七年)十二月九日の王政復古の大号令は、ここで発せられた。青紺がベースとなっている襖が、色彩鮮やかである。小御所の前庭を、御池庭と言う。大きな池を中心にした回遊式庭園で、前面に州浜を造り、そこには大きさの揃った丸石を敷いている。池には右手に大きな島があり、弧を描いた欅橋が架かつている。また左手のやや小さな島にも、橋が二つ架かつている。中央にある島には、灯篭が置かれている。樹木は松が中心で、その松葉は一つ一つが見事なまでに剪定されていた。小御所と並んで、御学問所がある。そこには正装の皇太子および皇太子妃と思しき人形が設置されている。その前庭を東庭と呼び、ここで蹴鞠が行われるようである。

 東底より次いで御内庭に入る。ここには御常御殿があり、大小十五間からなる畳敷きの書院造りである。この奥座敷は、男子禁制であったと言う。御内庭は曲折した遣り水を、正面左手より右手に流しており、途中に土橋・石橋・木の橋を架けている。遣り水の水際には丸石を敷いており、また遣り水の流れの底にも丸石を敷き詰めており、水の流れがそのために極めて清浄に見える。燈篭や庭石も所々に配しており、植栽に工夫を凝らした曲水のお庭である。奥には茶室「錦台」と言うのも、設えてある。

 京都御所のうち一般に公開されているのはここまでで、想像していたより小規模な造りとの印象であった。帰り口は、清所御門であった。

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