洛 東 ・ 法 然 院

 最初に法然院に行く。当院は鎌倉時代の始めに、専修念仏の元祖である法然坊源空上人が、鹿ケ谷の草庵を営んだのが始まりと言う。この地で法然は弟子の安楽・住蓮とともに念仏三昧の別行を修し、六時礼讃を唱えた。一二〇六年、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、上皇の寵姫であった女房の松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家してしまった。この事が後鳥羽上皇の逆鱗に触れて、法然は讃岐に流罪、安楽・住蓮は死罪となり草庵は荒廃した。松虫・鈴虫も草庵で自害させられている。実はこの事件の前に、法然の教団による念仏仏教が盛んとなり、信徒も増えてきていた。これを警戒した北嶺(比叡山)や南嶺(南都興福寺)により、専修(せんじゅ)念仏の全面停止(ちょうじ)の奏上が出されており、ちょうどこのような状況のときに松虫・鈴虫事件が起きて、念仏停止となったのである。そうしてこの事件の折りに、親鸞もまた越後に流されている。草庵は久しく荒廃していたが、江戸初期(一六八〇年)に知恩院第三十八世萬無和尚が発願し、弟子の忍より善気山萬無教寺として再興された。浄土宗内の一本山であったが、昭和二十八年浄土宗より独立し単立宗教法人となった。

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